NEC、量子コンピューター実機開発から撤退——1999年からの27年史 富士通・理研への集約と、量子コンピューター産業の"172倍"の謎

2026年9月7日月曜日

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「量子コンピューター」という言葉を、ここ数年でニュースやSNSで見かける機会がぐっと増えたと感じている方は多いのではないでしょうか。将来を変える技術として期待される一方で、「結局いつ実用化されるのか」「どの会社が強いのか」がよく分からない、という声もよく聞きます。そんな中、2026年9月、この分野の歴史を語るうえで欠かせない企業に関する、少し意外なニュースが報じられました。世界で初めて超電導方式の量子ビットを実現したNECが、量子コンピューターの実機(ハードウェア)開発から退いていた、というものです。この記事では、何が起きたのか、その背景にある技術的・経営的な事情、そして日本の量子開発が今後どこへ向かうのかを、できるだけ丁寧に整理していきます。

この記事のポイント

  • NECが2026年3月末に量子コンピューターの実機開発を中止していたこと
  • NECは1999年に超電導量子ビットを世界で初めて実現した"源流"企業であること
  • 撤退したのはハードウェア層のみで、量子アニーリング等の関連サービスは継続すること
  • 日本の量子ハードウェア開発は富士通・理化学研究所への集約が進んでいること
  • 量子コンピューター産業では「物理量子ビット」と「論理量子ビット」の違いなど、数字の読み方に注意が必要なこと

何が起きたのか:NECの撤退の概要

2026年9月4日、経済メディアのダイヤモンド・オンラインが、NECが量子コンピューターのマシン開発から撤退していたと報じました。続いて9月5日には日本経済新聞も、NECが量子コンピューターの実機開発を2026年3月末で中止していたことを報じています。

ダイヤモンド・オンラインの報道では、開発に携わっていた複数の研究者がライバルである富士通に移籍したとされ、その中にはNECの量子コンピューティング研究のリーダーだった研究者も含まれると伝えられています。ただし、この人材移籍に関する詳細については、NEC・富士通の両社から公式な発表は確認できていません。NECは同メディアの取材に対し、実機開発からの撤退そのものについては「コメントは差し控える」としたうえで、量子コンピューターの活用に向けた技術の見極めや、産業化への取り組みは進めていると回答しています。

一方の日本経済新聞の報道では、実機開発を中止した理由として、実用化に時間がかかり、投資に見合う収益を得るのが難しいと判断したとみられる、という趣旨が伝えられています。同時に、関連する量子コンピューティング技術やサービスの開発は今後も継続する方針であることも明記されています。

💡 「撤退」=「量子から完全撤退」ではない

今回報じられているのは、あくまで自社で量子コンピューターというハードウェアを組み上げる事業からの撤退です。量子力学の考え方を活用した最適化計算のサービスなど、ソフトウェア・サービス領域の取り組みは継続すると報じられています。この違いを混同すると、ニュースの意味を読み違えてしまいます。

1999年、つくばから世界が始まった

今回の撤退がこれほど注目された理由の一つは、NECが量子コンピューター業界における"後発企業"では決してなかったからです。むしろ、現在世界の主流となっている超電導方式の量子コンピューターの、まさに出発点をつくった当事者でした。

1999年、当時NEC基礎研究所に在籍していた中村泰信氏(現・東京大学教授、理化学研究所チームリーダー)は、Yuri Pashkin氏、蔡兆申氏とともに、英科学誌ネイチャーに論文を発表しました。この論文が示したのは、人工的に作られた超電導の微小な電子回路が、量子力学的な「重ね合わせ」の状態を保ち、それを外部から制御できるという、世界初の実証でした。

“Coherent control of macroscopic quantum states in a single-Cooper-pair box”
(訳:単一クーパー対箱における巨視的量子状態のコヒーレント制御)

これが1999年にネイチャー誌に掲載された、当時の論文タイトルです。専門用語が並んでいますが、ポイントは「半導体の製造技術で作れる量子ビットが存在する」ことを世界で初めて示したという点にあります。それまでの量子ビットの候補は、イオンや原子核スピンなど自然界にもとから存在するミクロな系が中心で、大量に集積回路のように作り込むことは困難でした。NECの成果は、その常識を覆すものだったのです。

もっとも、当時実現された量子状態の持続時間(コヒーレンス時間)は1ナノ秒に満たない、ごく短いものでした。それでも、この論文は固体素子型の量子コンピューター研究を世界的に加速させるきっかけとなり、現在IBMやGoogle、富士通などが手がける超電導方式の量子コンピューターは、この延長線上にあると位置づけられています。

🌱 ちょっと余談

超電導量子ビットの発明者である中村氏は、その後NECを離れ、現在は理化学研究所で国産初の量子コンピューター開発を指揮する立場にあります。技術の源流をつくった研究者自身が、今度は国のプロジェクトとして量子コンピューターの実用化を目指しているというのは、なんとも感慨深い巡り合わせです。

「撤退」の中身を正しく理解する

ここで、量子コンピューター事業を3つの層に分けて考えると、今回のNECの判断が理解しやすくなります。

  • ハードウェア層:超電導チップ、希釈冷凍機、制御用の電子機器など、装置そのものを作る領域
  • ミドルウェア層:量子誤り訂正、コンパイラ、量子と従来型コンピューターを組み合わせる実行環境
  • アプリケーション層:金融のポートフォリオ最適化、創薬のシミュレーション、物流の配送計画など、実際の課題に応用する部分

今回NECが退いたのは、このうち資本集約度がもっとも高く、勝ち残るまでの時間がもっとも長いハードウェア層です。ミドルウェアやアプリケーション寄りの取り組みは継続すると報じられています。

具体的に継続するとされているのが、「量子アニーリング」と呼ばれる方式に関するサービスです。これは膨大な組み合わせの中から最適な解を探し出すことに特化した計算方式で、任意のアルゴリズムを実行できる汎用型(ゲート型)とは仕組みが異なります。NECは、カナダのD-Wave社が提供する量子アニーリングのクラウドサービスを、日本語サポート付きで国内企業に届ける役割を担ってきました。あわせて、量子ビットを一切使わず、通常のコンピューター上で量子アニーリングに似た最適化計算を行う「ベクトルアニーリング」という独自技術も展開しています。

興味深いのは、NECが2025年3月末にも、自社のベクトル型スーパーコンピューター専用環境を使ったアニーリングサービスの提供を終了していたという点です。今回の実機開発中止とあわせて見ると、NECが専用ハードウェアに依存する事業から一貫して距離を置き、汎用サーバー上のソフトウェアへと軸足を移してきた流れが見えてきます。

なぜ投資に見合う収益が難しいのか

「実用化に時間がかかり、投資に見合う収益を得るのが難しい」——この一文の背景には、量子コンピューターのハードウェア開発が抱える、いくつもの構造的な課題があります。

  • ⚠️極低温環境のコスト:超電導量子ビットは絶対零度に近い環境でしか動作せず、それを維持する希釈冷凍機は1台数億円規模になり得ます
  • ⚠️配線という物理的な壁:量子ビット1個の制御に複数本のケーブルが必要で、規模を大きくするほど冷却も難しくなります
  • ⚠️誤り訂正のオーバーヘッド:ノイズに弱い量子ビットを束ねて、信頼できる1個の「論理量子ビット」を作るには、数百から1,000個規模の物理量子ビットが必要とされます
  • ⚠️競争相手の資本力:IBM、Google、Microsoft、さらに国家戦略として巨額を投じる中国が競合として立ちはだかります
  • ⚠️収益化までの時間差:開発費は今日出ていくのに対し、利益として返ってくるのは早くても2030年代とされています

ここで注目したいのが、NECの経営状況です。2026年3月期の連結業績は、営業利益が前期比40.3%増と、収益力は明確に改善していました。つまり、業績が悪化したから量子から手を引いたわけではありません。むしろ収益に余力があり、資源配分を主体的に選べる状況だからこそ、回収までに10年単位を要する装置産業を切り離した、と見るほうが実態に近いでしょう。NECは現在、企業のデジタル変革を支援する事業プラットフォーム「BluStellar」を成長戦略の中心に据えており、AI・クラウド・セキュリティなど、投資回収までの期間が量子ハードウェアより短い領域に力を入れています。

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「業績が良いのに、なぜ撤退するのか」と一見不思議に思えますが、余力があるからこそ冷静な選択と集中ができる、というのはむしろ健全な経営判断なのかもしれません。

世界の到達点:量子ビット数から論理量子ビットへ

NECが退いた市場が、いまどうなっているのかも押さえておきましょう。ここ数年で、量子コンピューターの競争軸そのものが変化しています。以前は「何量子ビット搭載」という数字がそのまま話題になっていましたが、2026年現在の主戦場は、誤り訂正を施した「論理量子ビット」をいくつ実現できるかに移っています。

企業・機関 主な動き(2026年時点)
IBM 単純な量子ビット数競争から転換し、誤り訂正対応モジュール「Kookaburra」や2029年目標の「Starling」計画を推進
Google 2024年発表のチップ「Willow」で、量子ビットを増やすほど誤り率が下がる「閾値以下の動作」を実証
Quantinuum / IonQ イオントラップ方式で先行し、10個台の論理量子ビットの実装を報告
Microsoft エラーに強いとされる「トポロジカル量子ビット」を狙うチップを発表しているが、大規模な実証には未到達

世界のトップランナーであっても、実用的な計算で従来型のコンピューターを恒常的に上回る段階には、まだ到達していないというのが実情です。NECが「実用化に時間がかかる」と判断した背景には、こうした世界の到達点があると考えられます。

日本の量子開発は富士通・理研へ集約

NECが実機開発から退いたことで、日本国内の量子コンピューターハードウェア開発は、事実上、富士通と理化学研究所の連携体制に重心が移りつつあります。

時期 できごと
2023年3月 国産初号機となる64量子ビットの超電導機「叡」が公開
2025年4月 富士通・理研が256量子ビット機を開発、外部提供へ
2026年度中(計画) 富士通・理研が1,024量子ビット機の構築・公開を目指す
2030年度(目標) 富士通が物理量子ビット1万個超、論理量子ビット250個を目標に掲げる

ここで注意したいのが、「1万物理量子ビット」と「250論理量子ビット」という数字の落差です。不安定な量子ビットを1万個並べることそのものが目的ではなく、そこから誤り訂正によって実際に使える250個の論理量子ビットを取り出すことが本質だという点は、覚えておく価値があります。

もちろん、日本の量子開発は富士通だけではありません。NTTは光量子技術と量子ネットワーク、東芝は量子暗号、日立は量子インスパイアード最適化、キヤノンは光学技術を活かした光量子分野に、それぞれ力を入れています。産業技術総合研究所は量子コンピューターを外部提供する共用基盤の整備を進め、理化学研究所でも量子と従来型のスーパーコンピューターを組み合わせる新しい基盤の運用が始まっています。国としても、複数省庁を合わせて年間数百億円規模、基金や補正予算を含めると1,000億円規模に達する予算を量子技術関連に投じています。

量子関連株、売上と評価の大きな乖離

今回のニュースをきっかけに、あらためて意識しておきたいのが、量子コンピューター産業の経済的な実態と、株式市場での評価との間にある大きな差です。

米国の量子専業企業数社の直近の実績を見ると、いずれも大幅な赤字を計上しながら、売上高を大きく上回る規模の時価総額がついている状況が報告されています。ある試算では、複数の量子専業企業の売上高を合計しても、時価総額の合計と比べると100倍を優に超える倍率になるとされています。これは、2030年代半ばに見込まれる将来の市場規模を、かなりの確度で実現するものとして先取りした評価だと考えられます。

💡 「市場規模」と「経済価値」を混同しない

量子コンピューター関連の記事では、「2035年に数兆ドル規模」といった数字がよく登場しますが、これは量子コンピューティングが将来生み出しうる経済的な付加価値の推計であることが多く、量子コンピューター産業そのものの売上高予測とは別物です。この2つを混同すると、産業の現在地を大きく見誤ってしまいます。

もっとも、これは量子関連企業への投資が誤りだという意味ではありません。将来性を織り込んだリスク資産として、ベンチャー投資に近い性格を持つものだと理解したうえで向き合う必要がある、ということです。本記事は特定銘柄への投資を推奨するものではなく、あくまで一般的な情報提供です。投資判断は必ずご自身の責任で、最新の一次情報を確認のうえ行ってください。

こうした量子関連の数字を正確に読み解くうえでは、半導体・ハイテク産業全体の構造を理解しておくことも役立ちます。興味のある方は、半導体業界・産業構造の解説書籍で装置産業特有のコスト構造や投資回収のサイクルについて学んでおくと、今回のようなニュースの背景がより立体的に理解できるはずです。また、量子関連銘柄を含むハイテク株の値動きに関心がある方は、日本株投資に関する入門書籍で基本的な考え方を押さえておくと、こうしたニュースを投資判断に落とし込む際の土台になります。

今後の展望とまとめ

1999年、つくばの実験室で確認された、1ナノ秒にも満たない量子状態の重ね合わせ。その小さな発見が、いま数兆円規模の産業の起点になっています。そして2026年3月末、その回路を生み出した会社は、量子コンピューターというハードウェアを自社で作ることをやめました。理由は、技術が間違っていたからではなく、実用化までの時間と、投資を回収できる時期が見合わなかったからだと報じられています。

今回の一件から見えてくるのは、次のような点です。

  • ✅技術を最初に生み出した企業が、その産業の勝者になるとは限らない
  • ✅日本の量子ハードウェア開発は、今後しばらく富士通・理研を中心に進む見通し
  • ✅企業自身が自社で量子コンピューターを保有する必要は薄く、クラウド経由での活用が現実的な選択肢

量子コンピューターの実用化はまだ道半ばですが、Googleが示した誤り率低減の実証のように、原理的な突破口も着実に開かれつつあります。今後もこの分野のニュースに触れる際は、「物理量子ビットと論理量子ビット」「市場規模と経済価値」「目標と実績」といった数字の違いを意識しながら読み解いていくと、報道の内容をより正確に受け止められるはずです。日本の量子開発が、富士通・理研の川崎の拠点を中心にどう進んでいくのか、引き続き注目していきたいところです。

なお、本記事の内容は2026年9月時点で報道されている情報にもとづく解説であり、一部の人事に関する報道内容など、企業の公式発表で確認できていない事実も含まれます。最新の状況については、各社の公式発表やIR資料を随時ご確認ください。

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